「いつき」という名前は天照大神の御杖代として伊勢神宮にお仕えした斎宮から由来します。
それは個人の名前ではなく、お役目の名前。卜定で選ばれたという理由だけでそのお役目が与えられ、そこには受け入れるという選択肢しかありません。やりたいか、やりたくないかといった個人の思いや感情(エゴ)は一切関係がなく、ただ、その役割を果たすということ。
私が「いつき」の名前でやることにおいてはただその一点につきます。
それが故に、私は歴代の斎宮がそうであったように、日々、お参りをし、禊をしてからセッションに向き合っています。
(これは本名の私個人が持っていた習性とは全く性質が異なります。)
セッションにおいて私自身は思考を全く使っていません。ただ、目の前のクライアントとクリアなパイプで繋がること、鏡となること、そのことを意識しています。そして、あらゆる感覚をつかって、目の前に示されているものとクライアントの間にあるものを読み取りながら、クライアント自身の感覚を呼び覚まし、言語化を促します。
未だ言語化されていないもの、無意識や潜在意識、未消化の感情、魂からの声に光を当て、意識出来る状態へと導くこと。その人自身の内側に存在する神の領域と繋がる道を静かに示し続けること。
それを実践するために今の私に与えられたツールがマルセイユタロットと西洋占星術だったので、このツールを使ってセッションを行っています。
私がマルセイユタロットリーディングや占星術を使った龍頭図セッションを提供し続けているのは、実は私という個人が「やりたいから」ではなくて、いつきというお役目にそれらを通じて果たす「役割があるから」です。
「仕事」としてやってみようと思って始まったことではありましたが、「仕事」という視点でこの活動を発展させるために何かしようと試行錯誤しても何かと滞りが起こります。私個人のやりたいこと、発展させていきたいこと、収入につなげたいこと、、など三次元的なエゴを挟み込むと大概ストップが掛かります。
一方で、我を外し「ただただお役目に徹する」「お神事」と意図すると、不思議なご縁がもたらされたり、次へのヒントが与えられ、自然と必要なことが起こり、最善へと導かれていることを感じています。
今はまだまだ私自身の器が小さく、大きな発展に至っていませんが、「器を広げること」で受け取れるものや受け止められるものが大きくなるに従って、役割や影響できる範囲が広がっていくことを感じています。